会津武家屋敷
武家屋敷入り口の碑



いにしえ夢街道、バス「会津武家屋敷前」下車
会津藩の武家屋敷は戊辰戦争の際に殆ど焼失してしまったが、これは会津若松城追手門前にあった家老西郷頼母邸を復元したもの。西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で、代々1700石取りの家柄。会津藩家老西郷頼母近悳は幕末期の家老で戊辰戦争の際、恭順論や藩主の京都守護職辞退を進言するも容れられず、数奇な生涯を送った。西郷一族二十一人の自刃の悲話が残されている。江戸時代中期の和様建築で、中に入ることができるのは冬期間だけらしい。資料館には調度の類や武器などが展示されている。


片長屋を模した資料館。中に西郷一族自刃の場などの
お人形が展示されている。赤熊姿の中島伸行もいる。


家老屋敷・表玄関


容保様!


横から見た容保様


御殿様専用の厠!畳敷きにて候
下には砂を敷いた箱車が設置されていて
直ぐに健康状態をチェックされてしまう!


西郷家のご家族。


自刃の間(涙)


藩米の精米所大きい水車が廻っている。
施設内部にある会津歴史資料館では会津城下の切絵図(家臣達のおうちが皆載っている!)や会津家家訓などをGETされたし。
ここと、日新館でしか売ってないので買いそびれないよう。(何を隠そう、私らは買い損ねてこの場所を2度訪れたのです)

畑中陣屋・玄関


畑中陣屋



会津若松城・石灯篭
西郷邸とは別棟に、県指定重要文化財の旧中畑陣屋も保存されている。天保年間に、西白川郡矢吹町中畑の地に旗本松平氏の陣屋として建てられていたものを移築再現している。
写真の石灯篭は施設内の「会津くらしの歴史館」に置かれていた。会津若松城にあったもので、蒲生時代のもの。

見廻組与頭・佐々木只三郎のお墓の説明
施設の奥まったところにある。佐々木只三郎は会津藩士佐々木源八の三男として生まれ、旗本佐々木矢太夫の養子となった。文久三年に幕府が結成した浪士組の取締役として上洛し、一旦江戸に戻ってから再び京都見廻組の与頭となり再び上洛。当時小太刀を取っては日本一と言われ、竜馬襲撃を行ったと言われているが真相は明らかではない。慶応四年、鳥羽伏見の戦いでは見廻組を率いて出陣したが、負傷し、紀州紀三井寺で没した。
墓石は昭和58年に早乙女貢氏がこの地に運んだのだそうな。

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