会津日新館
天文台や水練場、弓道場、砲術場などを備え、全国でも随一と言われた藩校で、五代藩主・松平容頌(まつだいらかたのぶ)の時代に5年の歳月をかけて作られたもの。面積8000坪建物は1500坪ありました。日新館はもともと会津若松城の傍にあったのですが、戊辰戦争のときに焼失してしまいました。これは昭和62年に復元された建物で、ちょっと小高い山の上にあります。
日新館正面・南門

JR会津若松駅よりバス・高塚団地下車
ご覧の通りの雪で、だんだん吹雪いてくるありさま。ここは冬場は朝9時半から夕方4時半までなので、早めに訪れてさくさく廻ったほうが良いです。中ひろいです。
写真の南門は藩主をはじめとする上級武士だけが出入りを許されており、生徒は東門・西門から出入りしていました。
大成殿

戟門を入ったところ。
南門を入るとさらに戟門があり、衛兵が立っていました。左右に大成殿を守護する獅子がおかれています。左室に太鼓を設えて時を告げました。正面に見えるのは大成殿。右側の建物は大学。
東塾の中



あ、松陰先生?

天文の授業
東塾の建物の中には白虎隊隊士を模した人形が置かれ、授業の様子が再現されています。東塾では天文学や素読、書学、礼式方の授業が行われていました。隊士の人形にはひとりひとり、ちゃんと名前がついています。
日新館に入学する以前の子供に教え込まれた「什の掟」。近隣の遊び仲間10人を1組とし、遊びやお話の中で年長者への尊敬や礼儀を覚えさせたもので、幼い者でも無理なく知識を得ることができました。「ならぬものはならぬものです」。
資料館に置かれた会津若松城の模型
資料館には戊辰戦争の遺品ほか重要な史料がたくさん置かれていて、見るだけでもけっこう時間がかかります。途中、日新館での生活を説明するスライドとか、おじさんの説明なども聞けます。日新館は実は宿泊もできるらしい。(合宿?)

実はこのあと、帰りのバスが来なくて遭難しかかったのです…。h日新館の近くにある会津村はパスして吹雪の中300メートルほど歩き、ガソリンスタンドから電話をかけて宿の人に迎えにきていただいた。
ううむ、おそるべし会津。虚しくたたずむ観音様…。(でかい)

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