北茨城市 下村家


史料にある「松井村の神官下村継次」という記述を頼りにあさくらゆうさんが調べたところ、北茨城市松井の下村さんの家で三代神官をしていらっしゃったことがわかり、突然ながら訪ねてお話を伺えることになりました。


お話を伺った下村さん宅。

鴨さんは玉造の郷医芹澤幹基の三男として生まれ、松岡領松岡村(今の北茨城市)の下村家に養子入りし、下村継次と名乗りました。義父は下村祐齋(ゆうさい)または下村義次(よしつぐ)といい、松岡村にある天姫神社の神官でした。鴨さんは家督を継ぎ、二代目の神官となりました。

 『水戸藩史料』に次のような文があります。

弘道館開館の前後において漸次郷校をも振興、初め天保年間斉昭は郷校便宜の地に医学館を建設し尋いで文事あるものを館守しなして子弟を教育せしめ或は神官を奨励して国典を講習せしむ。

当時水戸藩では医学や神学の奨励がなされており、鴨さんが神官の家に入ったことは当時のスタンダードな進路であったと想像できます。



下村家の氏神様。
下村継次の実子、常親さんの時代には
家の正面にあったそうな。今は裏へ移してある。



幕末のころ植えたと思われる下村家のヒバ

伺った話の詳細→

北茨城でお話を伺ったあと、一路水戸に向かいました。

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